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企業情報・IR

中外炉ヒストリー

常に新しい環境に順応し、可能性を追及し、企業の総力を投入する、当社創業以来のチャレンジャーの伝統は、いま新たな決意を持って力強く創造力を発揮してまいります。

表内左端の年数をクリックしていただくと、各年の世間でのできごとがご参照いただけます。


 
1965-1974
起伏の昭和40年代
高度経済成長で躍進を続け、その後の不況・環境問題で新たな進化へ
前半の5年間は「いざなぎ景気」で好況が持続したものの、後半は「ニクソン・ショック」と「第1次オイルショック」で低迷することとなった日本経済。その中で当社は飛躍的に発展を続ける鉄鋼業界に向け最新型のウォーキングビーム型の加熱炉を多数納入して圧倒的なシェアを確保するだけでなく、当時主流であったブラウン管テレビの生産に不可欠なアニーリングレアを国内・海外メーカに相次ぎ納入し、1980年以降の独占的市場シェア確保に繋げるなど、劇的に変化する世界情勢においても着実に業績を伸ばしました。
中国、包頭製鉄所から均熱炉を受注
ラジエーションバーナ1号機を日本電気硝子・高月に納入
1966
谷川 正夫 日本工業炉協会副会長に就任
米国トッド・シップヤード社と超音波バーナの業務販売契約調印
連続式亜鉛めっき炉を日新製鋼・市川に納入
英国シェル・リサーチ社と酸素バーナ技術導入契約締結
1967
無酸化式厚板熱処理炉を日本鋼管・鶴見に納入
資本金を7億円に増資(4月)
トロイダルバーナ1号機を日本砂鐡鋼業・飾磨に納入
最初のウォーキングビーム型連続鋼片加熱炉を富士製鐡・広畑と東海製鐡へ納入
タンディッシュ用ガスバーナを川崎製鐡・水島に納入
資本金を7億3337万6千円に増資(11月)
1968
資本金を11億6万4千円に増資(4月)
焼結機点火炉用バーナ1号機を中山製鋼所・船町に納入
粉生 宗幸、油バーナ研究会会長に就任
資本金を11億4590万円に増資(11月)
売上高100億円を突破
1969
株式を大阪証券取引所市場一部に上場
仏国スタイン・サーフェス社(SS社)と無酸化加熱炉の技術導入契約調印
本社ビル 竣工
英国スタイン・アトキンソン・ストーディ社(SAS社)とWB型連続鋼片加熱炉技術供与契約調印
SS社とWB型連続鋼片加熱炉技術供与契約調印
資本金を14億945万7千円に増資(11月)
フロータ型アルミストリップ焼鈍炉を住友軽金属工業・名古屋に納入
1970
転炉予熱用トロイダルバーナを新日本製鐡・堺に納入
株式を東京証券取引所市場第一部に上場
加島第二工場竣工、技術研究所を十三工場から加島工場に移転
粉生 宗幸、熱管理功績者として、工業技術院長表彰を受ける
東洋金属熱錬へ1号機となる1室型真空炉を納入
無酸化回転炉床炉(CSO炉)を日本鋼管・京浜に納入
資本金を14億2952万7150円に増資(10月)
カテナリー一体化焼鈍炉を日新製鋼・周南に納入
資本金を15億円に増資(11月)
1971
谷川 正夫、日本工業炉厚生年金基金理事長に就任
資本金を22億5000万円に増資(4月)
谷川 正夫、日本工業炉協会会長に就任
軸流焚WB炉を設計
低NOxバーナの開発を始める
1972
WB炉に“水冷パイプ二重断熱法”を初めて採用
粉生 宗幸、(社)日本熱エネルギー技術協会常任理事に就任
韓国浦項総合製鉄へ均熱炉を納入
小西六写真工業経由でソ連へカラー印画紙塗布装置を納入
英国ハムワージ社と船舶および発電所ボイラー用バーナに関し技術提携
1973
“ハイ・シフター”オールケース炉を製作
米国MSI社と汚泥焼却用多段炉技術導入契約調印
小倉工場内に大型燃焼テスト炉を建設
米国ザーン・インダストリーズ社と汚泥熱処理設備技術導入契約調印
1974
ザーン・インダストリーズ社とクリーンルームの技術導入契約調印
粉生 宗幸、日本熱エネルギー技術協会常務理事および近畿支部副支部長に就任
本社ビル 増築工事完成
ハイ・シフター型オールケース炉、日本熱エネルギー技術協会より優秀製品賞を受ける
シュープッシャ型アルミスラブ加熱炉を三菱アルミニウム・富士に納入
資本金を24億1875万円に増資(11月)

本社ビル_増築前自社ビルとして1969年に竣工した本社(大阪市西区京町堀) XI-4_FHCバーナ環境問題に対応すべく開発された低NOxバーナ XIII-3(198)オイルショックに応える省エネ技術の紹介広告が好評に X-6(155)プッシャ型に代わり主流となったウォーキングビーム型加熱炉 XI-4(178)アーク炉などの助燃用に利用されはじめた酸素バーナ X-10(159)画期的な技術を採用したベル型焼鈍炉 X-18(167)アルミ・ストリップ用のフロータ型炉1号機 X-22(171)ビン製品やガラス製品用にも納入したアニーリングレア IX-3(139)1969年大阪・東京証券取引所第1部に上場 IX-4(140)体育祭を開催するなど、社内イベントもますます活発に

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